ちょっと落ち着いた。
元気だすぞー。がんばるぞー。
がんばるおー。


お風呂は心身の健康にいいですね。

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7月に治療した歯が痛い。
先週歯医者に行って、昨日から痛いと言ったら、体調などでそういうことはあります、一時的なものですよと言われたからそのままにしておいた。

しかしまだ痛い。食べ物食べると染みるようにすごく痛くなる。

嫌な予感がします…。
治療やだなぁ…。
銀歯入れたのにまた壊してやり直しになるんじゃないかと…。


明日は二件病院をはしごすることになってしまうのでまた予備校に通えない。
金曜日は大きい授業ないから大丈夫だよ、と言い聞かせる。

婦人科も、わざわざ都内の病院に行かなくてはいけなくて、気が重い…が、生理が重いよりはマシだ。
子宮内膜症だと思うんだよね…尋常じゃないもん。
生理のために熱が出て、耐えきれない、今まで経験したことのない激痛、それに伴う悪心、嘔吐、過呼吸
痛み止めは一番強いのを最大量使っても効かない。

来月の生理が毎回恐ろしい。
でも近所の婦人科は大したことないと取り合ってくれないのである。

私が我慢できてないだけ、というレベルじゃないと思うんだけど、そういうところっていまいち自信が無い…。

でも本当に痛くて、死にそうなくらい痛いんだって、言ってるのに…。

元から生理痛は結構痛くて、痛みのあまりに黙り込んでしまうくらいはあった。
でも最近はそれを超えて叫ぶ程痛い。
本当に、生理痛ってレベルじゃないんだって言ったのに。


どうしてわかってくれないのかなぁ…。

若い人は忍耐力がないとか、そういうんじゃないんだって言ってるのに…。



おもいっきり子宮を踏み潰されたような痛み。
あれほどにまで痛覚を強烈に感じた事はない。
痛みがないときは想像するのも難しいから言い表しにくいが。


どうしてわかってくれないのかな…。
どうして、こんな目に遭わなきゃいけないのかな…。

去年から、全般性不安障害、うつ、喘息になった。今はどれも症状がないけど。たまにうつの兆候があるくらいで。



病気になるたびに、自分が悪い気がしてくる。
健康管理ができてないんだと。普通の人より劣ってるんじゃないかと。心が弱いんだと。


ちゃんと夜は寝てるし、ごはんも食べてるし、暖かくしてるのに。
運動は、歩く程度だけどそんなに少なくない。


心の問題って、どうしたらいいんだよ。

何に対しても、毎日きちんと努力してるのに…。


それがいけないんだとさえ知って、手を抜くようにもしてるのに…。


自分では気にしないようにしてみても、やっぱりどこかでうまくいかなくて。

周りに心配してもらえるのは嬉しい一方で、弱いものだと思われるのが嫌。

そして理解してもらえないことのなんと多いことか…。
集団では足手まといになるのも辛い。
「よく休む人」にされる。
大したことないのに休んでると思われる。


予備校で、2限に教室に入ったら高校の元クラスメイトが挨拶してきた。
寝坊して今来たのだと思っているのだろうけど、私は彼女が来たよりも前、1限の始まる一時間前から来ていた。
いつもは一時間自習しているのだが一週間休んだにも関わらず具合が悪く、結局ほとんど勉強できず、1限には半分程居たが、具合が悪くなって退室して、また戻ってきたところだった。2限は全部聞いた。


きっと、彼女には私の事などわかりはしない。
私も彼女の事はわからない部分がたくさんあるだろうけど。


みんな同じように苦しいというのは間違いじゃないかと思う。

あくまで推測だけど、私は彼女より努力しているし、辛い、と思う。
そもそも彼女のように勉強不足で浪人してるわけじゃないんだし。
しかし、ごく勝手な決めつけである。


そんなことを言っても、誰も認めてくれないのはわかってる。
苦労した人間が偉いのではない。結果を出した人間が偉いのだ。


何かを作った人は賞賛されるが、病気で苦しんだ人は治っても誰も賞賛しない。


どうにもならない世の中の苦しみ。

神に祈りたくなる気持ちもわかる。

それでも私より辛い人が(たぶん)いるなんて、なんて悲しい世の中なのだろう。
神様、助けて下さい。


でも、私は自分さえ良ければいいような人間だ。
私より辛い人を可哀想に思う一方で、そういう人の存在を知っていても自分が幸せなら幸せなのだ。

だけど、みんなそうでしょう?
テレビのニュースを見て悲しくなるけれど、スイッチを切ったら元通り。
そうでないと、みんな不幸になるから、自己防衛をする。
せいぜい、口上だけでも同情してあげるのが、最高の気遣いだ。気にかけても、大して悲しくは思わない。それは悪いことではない。

それでも、全ての人の幸せを願うという人で元気な人間がいたら、きっとその人は幸せな人間だ。羨ましい限りである。

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無根拠な希望も大事ですよね。

予備校はちょいと疲れる。
でも今日はしっかり全部出れたね。良かったね。


なんか、受かりそう!?



ちょっと気になるのは、父の退職。
家計、大丈夫なのかな…。
私は、お金にだけには今まで恵まれていたと思う。
それが不安定になるのは、心配というよりは想像がつかない。


私大行っていいんかな…。
お茶大後期受けるようなこと言ったけど、ちょっと迷い中…。。。


早稲田が最高とはいわないが。
わりと、自分に合ってる、のか?


どうしようか。

ていうか、早稲田行こうかなって思って受験始めたわけだし…早稲田か。


別に邪念だけではなくて。
たぶん、自分の方向性には近いんじゃないかなと。


とりあえず、あまりにたくさんの人に馬鹿にされないようなとこならいいです…。
東大、京大、早稲田、慶応くらいなら…。
次点に、お茶の水女子、上智、立教、学習院とか?

…別に学歴で人を見る気はないけど、自分が見られるから。

あと、学歴しか情報がないばあいはやっぱり気にしてしまうし、日大とかだったら、パッと聞いただけでは頭悪くて話合わなさそう、という、かなり差別的な思考がはたらきます…。

そういうとこに行ってる人にも素晴らしい人が居るとは思います。小学校以来の親しい友だちもそんな感じだし。彼女は学歴は低いとしても、考え方はしっかりしてると思う。

学歴高くても、捕まる人とかいるし、一概に言えないのはわかる。


難しいかな…。
広義での差別的な目は取り除けない、かも。

学歴高いということ自体は評価していいはず。


差別ってなんだろね。
美人が好きなのは差別じゃないだろうし。
でも不細工な人をいみきらったら差別、か。


小学校のとき、区別すること自体、つまり言葉によって2つの差を明確に意識・定義すること自体が差別につながる(部族出身と、それ以外という区別を意識することなど。部族出身とそれ以外の人がいるのは事実だが、部族出身を下に見る以前にそもそもその違いを意識しない人も多い。)、だからこのように差別はやめましょうという教育する事自体にも、一種の差別的な目線なうかがえる、という主旨の発言をしたら、先生もクラスメイトも理解してくれなかったことがあった。


差別はやめましょう、と私へのいじめに対して誰かが言ったことがあった。
腹が立った。
ちょっと待て、何か差があるのか?
なんなの?ブスだっていいたいわけ?変人っていいたいわけ?他の理由?
何か差があるの?


…と。
少なくとも、私自身は何が違うのかわからなかった。
まだ、外国人だから、とか、身体障害だからとか、「区別」が発生する状況ならわかるが。
見た目の問題、全体的な雰囲気、なのかな…。

見た目が悪いからって差別するのはやめましょう、ってことか。


ひどいね。


しかし、今となっては私も、見た目の悪い人を嫌うことがある。
見た目にその人の非常識さが現れる場合。定義は難しいが、直しようがあるのに不潔な外見をしている場合とかかな。そこにマナーのなさが見える場合に限って。

当時は…直しようがあったのだろうか。
少なくとも、もうちょっと、親が気にかけてくれたらなぁ。
そして、私が気付けば、何か動けば迫害されずに済んだ。

その点では、不幸でかつ愚かだったのかもしれないが、幼い自分を私は大目にみてやろうと思う。
仕方ないのだ。何が悪いのかかわかんなかったんだから。
それに誰にも迷惑はかけていないし、かかったなら被った人がちゃんと言うべきだった。こうしたほうがいいよ、って。

石投げられて頭にあたってケガをしたり、カッター持って校内を追いかけられたり、他の人に嫌がらせするためのダシにされたり、鉛筆削りのカスの入った箱を頭から投げつけられたり、すれ違いに悪口を言われたり、配った給食を全員に残されたり、した。

いじめてる意識が無かった人も多かったんだろう。
私は、中学生になってからはマナーを身に付けたが、一回染み付いた文化は消えなかった。
そして小学生のときも中学生のときも、傷ついたのには変わらない。


汚く見えてしまうという、認識は変わりようがないから仕方ない。

でも、結局高校に進学するまでは何もできなかった。
せめて転校するとか、さ。


私の方が、彼らより頭はずっといいし、ちゃんと見た目を整えてからは外見だっていい。絵や楽器の演奏だってできる。
お金もある(あった)し、劣るとこはもうない、といいな…。


あるいみでは今でも架空の敵。
それだから、私は異常に見た目を気にしたり、恋人作ろうとしたりしたこともあったのかもしれない。


自分はいじめられるような、「差別」されるような人間じゃないんだ、と主張するために。


その執着が新たな二次災害の火種になったりもした。


悔しいです。


ま、もう過去の事ですが。
だけどまだ執着しています。
人並み以上を求めるところはそういう部分から来るんじゃないかなと。